何が正解か・・・(´・ω・`)

時間があまりない中

養老孟司さんの記事を

たまたま目にした。

携帯に掲載されてた記事で

時間のある時にゆっくり読もうと思ったんだけど

キープするのを忘れ、

情報の中に埋もれてしまい

読み返すことができなかった _| ̄|○

 

うろ覚えなんだけど

「子どもの自殺がどうして増えてしまったのか」というのを

養老孟司さんが見解を述べていた。

 

子どもとは「承認欲求」を満たしてほしいものらしく、

昔は家業や家のお手伝いをさせて

「子ども(自分)の役割」を明確にし

「自分は人の為に役立っている」

しいては

「自分の命は自分だけのものではない」ということを

生活の中で認識していたという話し。

だから昔は子どもの自殺なんてなかったんだって。

 

今はどうかというと

子どもに仕事をさせることは

「幼児・児童虐待」と言われ

自分は何のために生まれてきたのか?

誰の役に立てているのか?というのが

認識されないまま成長しているという。

だから今の若い人は

ボランティアが好きでしょ?と。

 

なるほどなぁ。

 

子どもはそもそも

「何のために生まれてきたか」なんて考えてなくて、

人の役に立ってるという経験で

「生きる意味」を見いだすということなんだそう。

 

子どもには何もやらせないという行動が

子どもの生きがいややりがい

生きる意味を奪っているのだと思うと

大人(社会)は罪だなぁと感じてしまった。

 

それから、「人やものに囲まれすぎだ」とも書いてあったかな。

自然に触れ合うことがなくなっている子どもたちは

他人の目を気にしすぎるのだとか。

 

例えばさつまいもを育てるとする。

苗を植え、水をやり

毎日のように畑に様子を見に行き

天気と格闘しながら

収穫はいつなのかと気にかける。

そんな風に「自然」に触れ合っていると

他人の目を気にするヒマなんてないんだって。

 

学校から帰ったら川で遊ぶ、

山で走る、

そういう生活が大事だと。

 

ホントにそうだなぁ。

自然って目を離せないし

自然ってやつから悪口を言われたり

陰口を叩かれたりすることもない。

 

少しズレてしまうかもしれないけど、

先日次男の友達が数人来ているとき

「インターネットのない日常を知ってるのって

少し羨ましくない?」と聞いてみた。

そしたらみんな

「確かに羨ましいなぁ」と。

便利になったのかもしれないけど

便利の中でしか生きてないのと

不便を知ったうえで便利な生活を送っているのとでは

暮らしていても随分違うと思うし

「情報」はすぐに獲得できるかもしれないけど

「経験」を獲得するチャンスは減っている。

 

ムカシが全ていいとは思わないけど

これだけインターネットが普及し

自然が遠くなった今

子どもたちにはどういう機会を与えて

何を体験させるか

情緒豊かに育てるにも

「人工的な自然」と

「計画された体験」をさせるしかないのか、

難しいところだなぁ・・・ (´ー`)

 

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